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みなさん、こんばんは。
「楽浪特集!」と題しまして過去の連盟機関誌の記事より、抜粋してお送りします。
vol.1は関西学生吹奏楽連盟 元顧問 故鈴木 竹男先生の
【楽浪1986年第7号2ページより】
「コンサートのプログラミングへの提言」です。それではじっくりとご覧ください。
-------------------------------------------------------------
「走れ!トロイカ」「ウィーンの森の巨匠たち」「地中海を巡って」「アディオス!イスパニョール」「ジョイフル・アメリカ」
「ラテン・アメリカよりの招待」・・・これらは、“ジョギング・アラウンド・ザ・ワールド”シリーズの中のタイトルである。
“ベルサイユのバラ幻想曲”“リバプールの少年達-ビートルズよ、永遠なれ!”“ビバ!チャイコフスキー”“ハロー!ディズニー”
以上のタイトルは“名作シリーズ”と言えよう。
また、“マーチ・シリーズ”としていつもプログラムにのせるタイトルは、”マーチ・オン・パレード”“マーチ・アルバム”
“アメリカン・マーチ・グラフィ-ある小太鼓のモノローグ”
いずれも端的に言えば、どれもよく知られている曲、なじみのある曲のメドレーにすぎない。考え方によっては“ポピュラーな曲を
つないだだけのことで、つまらない”という評もあるかもしれないが、比較的多くの方から好評をいただいてきた。
私がこのようなタイトルのあるプログラミングを始めたのは“マーチ・オン・パレード”からで、三十年ほど前のことになる。
マーチが好きな私にとっては、マーチのないコンサートは考えられない。演奏時間の長いマーチもあるが、二・三分で終わってしまう
マーチも多い。コンサートの構成からみて一曲だけではもの足らないし、二、三曲取りあげてもバラバラの感じで、まとまりもない。
そんなとき頭に浮かんだのが街頭の“パレード”のことである。”パレード”ならマーチとマーチの間を“ドラム・マーチ”でつなぐ。
コンサートでも、マーチを三曲ぐらいを、ドラム・マーチでつなぎながら演奏すれば、約十分位のまとまったプログラミングになるに
違いない。しかも日頃は縁の下の力持ち的存在のドラム・パートも、スポットを浴びるスター的存在になる-と思いついたのが、“マー
チ・オン・パレード”の切掛けである。“ジョギング・アラウンド・ザ・ワールド”や“名作シリーズ”は、ある演劇界の巨匠のお話
からである。
“アマチュア・バンドのコンサートは、ただ曲がならんでいるだけで、構成も演出もない。コンサートにしても、ドラマティックで
なければならないし、ストーリー性を求めなければ、お客さんは退屈するだろう”
また、ソ連のボリショイ・サーカスと共に来日したキオ魔術団の団長キオ氏の忘れられない談話もある。
“マジックには必ずタネがある。だが、そのタネを観客に考えさせるような間をあけてはいけない。驚き、またホッと一息つくか、
つかないうちに次の伊マジックにとりかかる事が大切。”
“お客さんの期待通りの結果を、期待以上の効果で応ずること。また、予想もしない意外性で驚かせるかが成功のコツ。”
一時人気のあった“フックト・オン”シリーズも、私の作品のヒントともなった。
曲をいかに構成し、どのように演奏するかが大切なことは言うまでもないが、もっと多角的な演出も考えたい。バンドのメンバーが
“歌う”ことも意外性の効果をあげ得るべし、スタンディングプレイに“動き”を加えることは、視覚的な楽しさが生まれるだろう。
曲目を並べれば、コンサートになる。プログラムになる。
けれど、客席を無視したプログラミングは、本当のコンサートとは言えない。
スクール・バンドとして、日頃の研究の成果を発表する場として、クラシカルな大曲と取り組む意欲も欲しいし、演奏できる力も
必要だ。
同時にいくばくかの入場料を払ってこられた人のために、多忙な中をわざわざ足を運ばれたお客さんたちに、楽しんでもらえる
企画も忘れてはならない。
その試みへのヒントは、どこにでもある。テレビに、ラジオに、映画に。ミュージカル、劇場ショウ、演劇・・・。
その気があれば、ハッと気付くことがある。ひらめくときがある。
“吹奏楽”という狭い分野にのみ捉われず、大きく目を見開くことだ。いろんなことに耳を傾けることだ。
吹奏楽としての新しい可能性を求め、コンサートとしての新しい試み、楽しい企画を生み出してこそ、吹奏楽としての発展があり、
より多くの人に親しまれ、愛されるコンサートとなることだろう。
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この鈴木先生の問題提起は、今にも十分通ずるものがあるのではないでしょうか?
それでは、次回もお楽しみに!
「楽浪特集!」と題しまして過去の連盟機関誌の記事より、抜粋してお送りします。
vol.1は関西学生吹奏楽連盟 元顧問 故鈴木 竹男先生の
【楽浪1986年第7号2ページより】
「コンサートのプログラミングへの提言」です。それではじっくりとご覧ください。
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「走れ!トロイカ」「ウィーンの森の巨匠たち」「地中海を巡って」「アディオス!イスパニョール」「ジョイフル・アメリカ」
「ラテン・アメリカよりの招待」・・・これらは、“ジョギング・アラウンド・ザ・ワールド”シリーズの中のタイトルである。
“ベルサイユのバラ幻想曲”“リバプールの少年達-ビートルズよ、永遠なれ!”“ビバ!チャイコフスキー”“ハロー!ディズニー”
以上のタイトルは“名作シリーズ”と言えよう。
また、“マーチ・シリーズ”としていつもプログラムにのせるタイトルは、”マーチ・オン・パレード”“マーチ・アルバム”
“アメリカン・マーチ・グラフィ-ある小太鼓のモノローグ”
いずれも端的に言えば、どれもよく知られている曲、なじみのある曲のメドレーにすぎない。考え方によっては“ポピュラーな曲を
つないだだけのことで、つまらない”という評もあるかもしれないが、比較的多くの方から好評をいただいてきた。
私がこのようなタイトルのあるプログラミングを始めたのは“マーチ・オン・パレード”からで、三十年ほど前のことになる。
マーチが好きな私にとっては、マーチのないコンサートは考えられない。演奏時間の長いマーチもあるが、二・三分で終わってしまう
マーチも多い。コンサートの構成からみて一曲だけではもの足らないし、二、三曲取りあげてもバラバラの感じで、まとまりもない。
そんなとき頭に浮かんだのが街頭の“パレード”のことである。”パレード”ならマーチとマーチの間を“ドラム・マーチ”でつなぐ。
コンサートでも、マーチを三曲ぐらいを、ドラム・マーチでつなぎながら演奏すれば、約十分位のまとまったプログラミングになるに
違いない。しかも日頃は縁の下の力持ち的存在のドラム・パートも、スポットを浴びるスター的存在になる-と思いついたのが、“マー
チ・オン・パレード”の切掛けである。“ジョギング・アラウンド・ザ・ワールド”や“名作シリーズ”は、ある演劇界の巨匠のお話
からである。
“アマチュア・バンドのコンサートは、ただ曲がならんでいるだけで、構成も演出もない。コンサートにしても、ドラマティックで
なければならないし、ストーリー性を求めなければ、お客さんは退屈するだろう”
また、ソ連のボリショイ・サーカスと共に来日したキオ魔術団の団長キオ氏の忘れられない談話もある。
“マジックには必ずタネがある。だが、そのタネを観客に考えさせるような間をあけてはいけない。驚き、またホッと一息つくか、
つかないうちに次の伊マジックにとりかかる事が大切。”
“お客さんの期待通りの結果を、期待以上の効果で応ずること。また、予想もしない意外性で驚かせるかが成功のコツ。”
一時人気のあった“フックト・オン”シリーズも、私の作品のヒントともなった。
曲をいかに構成し、どのように演奏するかが大切なことは言うまでもないが、もっと多角的な演出も考えたい。バンドのメンバーが
“歌う”ことも意外性の効果をあげ得るべし、スタンディングプレイに“動き”を加えることは、視覚的な楽しさが生まれるだろう。
曲目を並べれば、コンサートになる。プログラムになる。
けれど、客席を無視したプログラミングは、本当のコンサートとは言えない。
スクール・バンドとして、日頃の研究の成果を発表する場として、クラシカルな大曲と取り組む意欲も欲しいし、演奏できる力も
必要だ。
同時にいくばくかの入場料を払ってこられた人のために、多忙な中をわざわざ足を運ばれたお客さんたちに、楽しんでもらえる
企画も忘れてはならない。
その試みへのヒントは、どこにでもある。テレビに、ラジオに、映画に。ミュージカル、劇場ショウ、演劇・・・。
その気があれば、ハッと気付くことがある。ひらめくときがある。
“吹奏楽”という狭い分野にのみ捉われず、大きく目を見開くことだ。いろんなことに耳を傾けることだ。
吹奏楽としての新しい可能性を求め、コンサートとしての新しい試み、楽しい企画を生み出してこそ、吹奏楽としての発展があり、
より多くの人に親しまれ、愛されるコンサートとなることだろう。
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この鈴木先生の問題提起は、今にも十分通ずるものがあるのではないでしょうか?
それでは、次回もお楽しみに!
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